スポーツ

2006年11月20日 (月)

東京国際女子マラソン

今月19日、東京国際女子マラソンが行われた。

高橋尚子にとってこのマラソンは大切な一戦だったはずだ。

 

五輪の選考がかかった、2003年の同マラソン。途中で失速し、結果は2位。

日本人1位という結果ではあったが、平凡な2時間27分21秒に終わった。

そして2004年のアテネ五輪の選考で、落選したのだ。

最終的に最後の椅子を獲得したのが、今回一緒にレースをする土佐礼子だった。

 

僕は高橋尚子をアテネでみたかったし、何より、史上初の2大会連続優勝が懸かっていただけに残念だった。

しかし、野口みずきが優勝、土佐礼子は5位、坂本直子も7位入賞と、選ばれた3人が堂々の結果を残したのだ。

もし、当時の高橋尚子が出ていても、メダルは無理だったんじゃないかとも思うが。

 

 

そんなマラソンを見ていると必ず、高校時代のマラソン大会を思い出す。

 

高校時代、バスケ部に属していた僕だが、走ることに関しては負けたくなかった。

特に長距離に関しては。

入学した年の校内マラソン大会。僕は見事7位に入賞した。

 

それから1年間、専門のバスケットをやりながらも、自主的に走り続けた。

高校2年の秋、僕はコンディション、タイムともに最高だった。

来年は受験なので、今年が最後だと思っていた。すべてを今年のマラソンに賭けていた。

大会が待ち遠しくて待ち遠しくてたまらなかった。

しかし大会数日前に悪夢は起きた。

 

体育のソフトボールでの走塁の際、足首を捻挫してしまったのだ。

 

大会当日、僕はグラウンドにはいなかった。

 

当日、僕は受付での仕事をし、優勝者がテープを切る瞬間を見ていた。

あの悔しさは今でも忘れない。

 

 

あれから1年後の秋。

僕は部活も引退し、大学受験の勉強に励んでいた。

走ることも、体育でやるくらいしかなかった。

高校最後のマラソン大会。体力も気力も衰えてはいたが、必死で走った。

結果は3位。

「もし去年の怪我がなかったら、もし去年優勝していたら。」

 

 

今年、巨人軍を退団して、メジャーリーグを目指す桑田真澄投手がいる。

彼は大物ルーキーとして入団し、タイトル総なめ、毎年二桁勝利をしていた。

しかしある年、怪我によって彼の人生が大きく変わってしまったのだ。

「あの怪我さえなければ、もうとっくに200勝しているだろう」

人々は言う。

しかし彼は言う、

「あの怪我があったから、今の僕がいる」

 

あの怪我があったから、僕は翌年、銅メダルを取れたのではないか。

そして、あの時の粘り強く走り抜く自分の姿を、今回優勝した土佐礼子に重ね合わせて、レースを見ている自分がいた。

| | コメント (2) | トラックバック (2)